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人口減社会を考えるシリーズ4

 以下に2冊の参考になろうかと思う本を紹介します。

 

内田樹編「人口減少社会の未来学」文藝春秋刊 \1600+

 

今後100年に亘って日本の人口が半減する方向に向かっているというある程度数値的に確実な予測があって、それについて内田氏を含む11人の識者たち(内田樹 池田清彦 井上智洋 小田嶋隆 姜尚中 隈研吾 高橋博之 平川克美 平田オリザ ブレイディみかこ 藻谷浩介がさまざまな問題の分析・ルポを書いています。

https://www.amazon.co.jp/などで検索すると、ブックレビューを読むことができますので、一般的に、参考になったとか失望したという評価は、ここでは置くとして、私には高橋博之氏(元岩手県議)の文章が建設的だと思いました。それ以外の人たちの文章は、あれがなくなる、これがなくなる、どうしよう、大変だ・・・というような内容だけれど、高橋氏は過疎化の岩手で、どのように人口減に対して展開していくのかを実証的に説明されています。私自身が有機農家というマイナーではあるけれども、消費者との直接取引で農業を維持できている立場にあるので、それがこのような評価につながったのだとも思います。過疎地なら、過密都市の人たちを呼び込む、繋がることが孤立しない手段ではないか、ということです。畜産業、コメ作り、漁業者と都市生活者が共同作業や購入などでつながること、これは新たなネットワーキングの構築にかかわる作業なので、高橋氏のような仲介者がいれば、ある程度の負担でネットワークが広がることが可能でしょう。ただし、農漁民それぞれが単独でネットワーキングを周りに組み上げる作業はそれほど容易ではないので、仲介者は重要な役割を果たします。その作業そのものも都市生活者が担うようになるならば、過疎地の人たちと都市との関係は安定したものであり続けます。

 その他の人たちのリポートも読ませる内容のものがありました。

 

見田宗介「現代社会はどこに向かうか」岩波新書 \760+税

 この本は特に人口減社会をどのように生きるか、というテーマを掲げてはいません。高度成長期を過ぎた2000年あたりで20歳~29歳の人たちのアンケート調査を分析したものです。その分析が大きく2か所に上げられています。1章では近代家父長制家族による性別役割分担の解体、経済成長の終焉に伴い生活物質満足度の増大による保守化・政治への無関心化、近代合理主義の先にある非合理(来世、奇跡、お守り、占い)の受容の意識が増大していることが指摘されています。

 2章では世界的傾向として、そのような高度成長後の「高原期の幸福」はどんな時かがアンケート回答に示されます。家族・友人・健康・仕事、これらがなにより自分の幸福という答えがほとんどです。

 で、上の12章で引用された若者たちの意識の変化は、「人口減少社会をどう生きるか」の回答そのものです。経済成長が今後はありえないという総合的な雰囲気を察して、それならば、身の回りの小さな人間関係を充実させる幸福を選択したいという願望が強く表れていて、制度の破壊・構築にエネルギーが向かいません。ある意味で「保守化・政治的無関心」でもあるでしょうが、私には、人口減少社会でもこのように生きればいいのだ、と精神の深い部分で納得しているように受け取りました。どこかから「小市民的」「敗北主義的」という声が聞こえそうですが、以前の世代が以前の主張を繰り返して来て、このような(高度成長終焉の)事態を招いたことをこのように総括しているようにも思えました。

 もしも、若い人たちの意識の変化がこのようであるならば、「人口減少社会」を生き抜いていく精神の下火は出来つつあるのではないか、と受け取りたい気持ちの方が強いのです。

 

 ここまでで、「人口減社会をどう生きるか」に、私なりの狭い考えを書いたのですが、経済や政治、地方自治体の人口減への対策は皆無または「見ないことにする」という、これまでの路線から超えようという域には全然達していません。しかしながら、精神の深いところで若い人たちが準備しているとか、過疎地の農林漁業が元気に生き残る例が見られるあたりに希望を感じます。

 

 補足的に、あと1冊読んでみようかという本を注文したばかりです。

 


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人口減を考えるシリーズ3

(3)20180715 人口を考える2 「新たな国へ発想の転換を」--50年後1億の幻想

 人口減少に立ち向かうには、確かな長期ビジョンに裏付けられた政治家のリーダーシップが不可欠だ。日本にそれがあるだろうか。

 「50年後も人口1億人を維持する」。安倍晋三首相が2015年に打ち出した目標だ。「希望出生率1・8」を掲げ、待機児童解消などの少子化対策に取り組んでいる。

 しかし、17年に生まれた子どもは94万人。2年連続で100万人を下回った。政府の少子化対策が出生率を改善するには至っていない。

 今後、出生率が上向いても、現役世代の女性の数は減り続けるため、生まれてくる子どもは増えない。現在の人口を維持するには出生率2・08以上が必要だが、昨年の出生率は1・43にとどまっている。

 50年後の2065年ごろは1億人どころか、8000万人台にまで落ち込むと予測されている。
「安倍1強」に黙る官僚

 人口減対策の立ち遅れに危機感を抱く官僚や研究者は少なくない。だが、経済成長優先の「安倍1強」下で、路線の異なる考えを伝えにくい空気が支配している。

 年金や医療などの社会保障の総額は現在約120兆円。保険料では6割しか賄うことができず、赤字国債による借金でしのいでいる状況だ。将来世代にツケを回す「先食い」によって、国と地方の累積赤字はすでに1000兆円を超える。

 これから数十年は高齢者が増え、現役世代は減っていく。負担増の議論は避けられない。しかし、安倍政権は消費税10%への増税を2度にわたって延期した。増税による消費の落ち込みが成長の足を引っ張るという。官邸に人事権を握られた官僚が口を閉ざすのはそのためだ。

 安倍政権の「成長なくして財政再建なし」は、経済成長すれば企業の収益や労働者の所得が増え、結果として税収も増えて借金を減らせるという「上げ潮」路線の考え方だ。17年度は税収も年金積立金の運用益も増えた。政権はアベノミクスの成果だと強調する。

 ただ、アベノミクス頼みでは、世界経済の状況に大きな影響を受けることが否めず、長期的な人口減少と社会保障機能の維持に対する根本的な解決策にはならない。

 人口減でも生産性が上がれば経済成長は可能という説も根強い。

 安倍首相は16年に米国で金融関係者らに向けた講演で「日本はこの3年で生産年齢人口が300万人減少したが、名目国内総生産(GDP)は成長した」「人口動態(人口減少)にまったく懸念を持っていない」と強気の発言を繰り返した。

 労働力が減少するのに伴って、企業は生産性の向上を迫られるため、ロボットや人工知能(AI)の活用が進むというのである。

 しかし、人口減少は消費者が減るということでもある。日本のGDPの6割は国内消費が占めている。生産性が高まって商品やサービスの量が確保されたとしても、買う人が少なくなれば経済は縮む。

適合と成熟の政策を

 日本の企業の9割は中小零細だ。経営者が高齢で後継者がいない企業は多く、その半数が黒字と言われる。このままでは650万人分の雇用と22兆円のGDPが失われる可能性がある。「20年ごろにGDP600兆円」という安倍政権の目標は現実から遠いと言わざるを得ない。

 老朽化する道路や橋などのインフラ、シャッターだらけの商店街、増え続ける空き家。人口減少の影響で進行中の問題に対し、各省庁はさまざまな名目の補助金を場当たり的に配って対処してきた。

 しかし、従来の延長線上にある政策では、これから訪れる変化には対応できない。人口減少社会の青写真を描き、成長を前提にした拡大志向から、適合と成熟を目指した政策へと変える必要がある。

 政府内に人口減少の総合対策本部を設け、強い政治力で社会の構造や価値観の大転換を図るべきだろう。それは新たな国づくりに等しい。

 日本よりはるかに人口が少なくても、若い世代の起業が盛んで、社会に活力をもたらしている国はある。日本でも新しいビジネスや社会づくりに取り組む人をもっと支援する流れを作るべきだ。教育や労働環境も変えなければならない。

 人口の減少と年齢構成の急激な変化は避けられない。それを過度に恐れず、発想を転換してさまざまな分野で挑戦するところから、新しい時代の価値観は生まれるだろう。


(シリーズ2,3は毎日新聞社説の転用です)
 

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人口減社会を考える・シリーズ2

人口減社会を考える・シリーズ2

(2)毎日新聞2018年7月15日 東京朝刊

 人口を考える1


 この国に待ち受ける未来を、私たちは正確に捉えているだろうか。

 かつて経験したことのない勢いで日本の人口は減っていく。2053年ごろに1億人を割り、100年後には6000万人から3000万人台になると推定されている。

 江戸時代の日本は3000万人国家だった。その程度の規模でゆったりと暮らせばいいではないか、と考える人もいるだろう。

 しかし、現代に生きる私たちは、年金や介護、子育てなどの社会保障がなければ暮らせない。鎖国の時代とは異なり、経済も安全保障も外国と絶えず影響し合っている。

 日本だけが急激な速度で人口が減っていけば、社会はその変化に耐えられなくなる。
15年後の空き家率3割

 何もしなければ危機は確実に深まる。まずはこの変化が何をもたらすかに目を凝らしたい。

 <2025年> 東京五輪・パラリンピックから5年後のこの年、人口が最も多い団塊世代がすべて75歳を超える。1人当たりの医療費は現役世代の5倍かかる。国民全体の医療費も現在の42・3兆円から57・8兆円へと膨らむ。

 大企業の会社員が入る健保組合の多くが赤字で、後期高齢者医療制度への支出金の負担に苦しんでいる。23%もの組合が解散の可能性があるという。負担増に耐えられず解散する組合が続出すると、戦後の日本人の生命や健康を守ってきた国民皆保険の土台が崩れてしまう。

 <2033年> 空き家率が3割を超える。全国の空き家は2166万戸と予想される。空き家が増える地域は住宅価格の下落を招く。建て替えや修理をする費用が工面できなければ、老朽化した大量の空き家が放置されるままになるだろう。

 日本の人口は08年の1億2808万人をピークに減少に転じた。ただ、それ以降も住宅は増え続けている。すでに住宅の数は世帯総数より16%多いのに、新規の建設は続いている。国は景気対策の面から供給過剰を後押ししている。そのツケが一気に回ってくる。

 道路や橋、上下水道などの社会インフラは日本が持続的に成長することを前提に整備されてきた。特に高度成長期以降、全国各地で公共工事に多額の予算が投じられてきた。地方の景気対策や雇用の確保という意味合いもあった。


年齢構成の激変が本丸

 ただし、造ったものはいずれ老朽化していく。道路や港湾の耐用年数は50年といわれており、20年代にはその多くが耐用年数を超える。

 <2044年> インフラの修繕費がピークとなり、18兆~19兆円にまで膨らむ。修繕費は市町村の負担分も大きく、過疎地の道路や橋は老朽化したまま放置されるものが多くなる恐れがある。

 増え続けてきたのは大学も同じだ。1955年時点では228校だったが、92年に523校、2012年には783校になった。

 ところが、1992年に205万人いた18歳の人口は、2040年に88万人にまで落ち込む。大学の倒産や統廃合が続出するかもしれない。

 人口減少は過疎が進行する地方の問題だと思われがちだ。しかし、その直撃を受けるのはむしろ東京や大阪のような大都市である。

 今の東京は、活気に満ちているように見える。湾岸部では高層マンション群が林立し、都心の真新しい商業ビルは外国人観光客でにぎわう。

 だが、きらびやかな街の内部で危機が進行している。

 日本全体の人口が減る一方で、75歳以上の高齢者は54年まで増加傾向にある。その多くを抱えているのが都市だ。戦後、地方から東京などの都市に転入してきた人々とその子ども世代が高齢化の階段を次々に駆け上がっていく。

 これまで都市の高齢者を介護する労働力は、地方が供給源になってきた。だが、今後はその穴が埋められなくなる。都市部での介護施設や介護サービスの極端な不足は、最も深刻な社会問題になるだろう。

 1960年の日本の人口構成は、子どもや若い世代が多く、高齢になるほど少ない典型的な「ピラミッド型」だった。50年後の2010年は65歳前後が多い「つぼ型」。それが2060年になると、若い世代が少なく、高齢者の層が膨らむ「棺おけ型」へと大きく形を変える。

 つまり、日本の危機は単に人口が減るだけではなく、年齢構成が急激にバランスを失うことにある。
今から備えを万全に

 高齢化率は2060年時点で38%を超える。この年、認知症の人は1154万人になると予想されている。人口そのものが9284万人となるので、国民の8人に1人が認知症という計算になる。

 人口減少はいったんスイッチが入ると、止められなくなる。現在の減少規模は年間40万人程度だが、60年を過ぎると100万人近くになる。和歌山県や北九州市の人口が毎年消えていくようなものだ。

 このように日本の未来図を概観していくと、人口減少に対する安倍政権の甘さが浮き彫りになる。

 待機児童の解消などの少子化対策は十分とは言えない。現在約120兆円の社会保障費は、際限なく膨れ上がる一方だ。空き家や老朽化するインフラへの対策も乏しい。

 これから数十年かけて日本に訪れる巨大な変化は、従来の制度や慣習をなぎ倒すほどの威力がある。

 ただ、長期にわたる政策ビジョンと、世代をまたいで持続する社会の強い意思があれば、この変化にも必ず適応できるはずだ。悲観論に閉じこもってはいけない。

 冷静に、そして覚悟を持って未来に備えるため、人口減少という大波について集中的に考えてみたい。



 

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