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NHKスペシャル取材班「縮小ニッポンの衝撃」講談社現代新書 \740+税
人口減が進む、全国のいくつかの地域のルポです。東京都豊島区、北海道夕張市などの例が挙げられています。しかし、豊島区の例は警備会社での就業の様子で「日払い・宿・食事つき」で警備の仕事をしている人たちの話。沖縄などから東京へ職探しに来たが、簡単には見つからない。野宿や漫画喫茶などで寝るようになって、やっとこの仕事に就く。宿と言っても、4人、6人が1部屋に。とりあえず止まり木のつもりだったが、そのままずっと。身元不明で事故死もあり、次のステップへ、どころか、そのまま居続けてしまう。
夕張市、ピーク時には11万人の人口が現在9千人。さらに30年後には4千5百人を想定している、これには驚いた。具体的には、膨らみ過ぎた市営住宅を維持できないので、閉鎖の方向だ。雨漏りも修理もしないので、住民は転居せざるを得ないが、それもできないで、じっと我慢している例も。税や国保、介護保険などが上がり、小学校中学校が市内で1校ずつになってしまう。沈みゆく船からは乗員(市民)だけでなく、乗組員(市職員)も降りていく。その船に乗り込んだ、東京都職員から夕張市長になった30代の若者の健闘が悲し過ぎる。市長月給15万8千円。だが、具体的に市民の生活のルポが出て来ない。
島根県の例は、10世帯前後の集落がどのように無人化して無くなったかの例がある。80か所以上の集落の今後が悲観的だ。集落への公共交通を住民に委託されて引き受けた例がある。地域の運営を地域組織に丸投げした例もあるが、成果が出たとは言い難い。Uターン、Iターンなどの新住民の数では人口減はカバーしきれないと理解する人も増えてきた。それで、最初から新住民を当てにしないで、現住民を大切にするのを優先した集落もあり、住居の集約化(一か所に集中的に住居や田畑が集まること)が集落の住民組織で検討されている。このほか、行政の「下請け」業務を住民組織が引き受けた例がある。行政でも一筋縄では行かない作業を末端の住民組織が引き受け引き継ぐことができるのか。できようができまいが、それしか無いとの文章トーンだ。
まぁ、こういう人口減の先進例なのだが、まだ結果が出ているとまでは言えない、途中経過の過渡期なのだろうから、これ以上を望むべきではない。
結局、日本全国どこへ居ようと、人口減は起こる。個々人の立場・居住地区によって、その影響は変化するので、万人への処方箋は無いだろう。早い時期ならば、自分で近い未来を選択打開できるだろうと思うが、まだ着手できていない人たちが大半なのも無理はないかもしれない。だが、そろそろ30年50年後も視野に入れた将来設計があってもよいのではないだろうか。
要するに、地方自治体の役所目線のルポというしかない。日本各地での様々な立場や年代の人々に人口減がどのように影を落とそうとしているのか、のルポにはなっていないように思う。先の豊島区での警備員の仕事と、来春卒業大学生の高い就職率内定77%はどんな関係になるのか、わたしには説明できない。なんとなく将来を楽観しているようだが、今後50年はこれまでと同じでは済まない未来である。(続きがあるかも)
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内田樹編「人口減少社会の未来学」文藝春秋刊 \1600+税
今後100年に亘って日本の人口が半減する方向に向かっているというある程度数値的に確実な予測があって、それについて内田氏を含む11人の識者たち(内田樹 池田清彦 井上智洋 小田嶋隆 姜尚中 隈研吾 高橋博之 平川克美 平田オリザ ブレイディみかこ 藻谷浩介)がさまざまな問題の分析・ルポを書いています。
https://www.amazon.co.jp/などで検索すると、ブックレビューを読むことができますので、一般的に、参考になったとか失望したという評価は、ここでは置くとして、私には高橋博之氏(元岩手県議)の文章が建設的だと思いました。それ以外の人たちの文章は、あれがなくなる、これがなくなる、どうしよう、大変だ・・・というような内容だけれど、高橋氏は過疎化の岩手で、どのように人口減に対して展開していくのかを実証的に説明されています。私自身が有機農家というマイナーではあるけれども、消費者との直接取引で農業を維持できている立場にあるので、それがこのような評価につながったのだとも思います。過疎地なら、過密都市の人たちを呼び込む、繋がることが孤立しない手段ではないか、ということです。畜産業、コメ作り、漁業者と都市生活者が共同作業や購入などでつながること、これは新たなネットワーキングの構築にかかわる作業なので、高橋氏のような仲介者がいれば、ある程度の負担でネットワークが広がることが可能でしょう。ただし、農漁民それぞれが単独でネットワーキングを周りに組み上げる作業はそれほど容易ではないので、仲介者は重要な役割を果たします。その作業そのものも都市生活者が担うようになるならば、過疎地の人たちと都市との関係は安定したものであり続けます。
その他の人たちのリポートも読ませる内容のものがありました。
見田宗介「現代社会はどこに向かうか」岩波新書 \760+税
この本は特に人口減社会をどのように生きるか、というテーマを掲げてはいません。高度成長期を過ぎた2000年あたりで20歳~29歳の人たちのアンケート調査を分析したものです。その分析が大きく2か所に上げられています。1章では近代家父長制家族による性別役割分担の解体、経済成長の終焉に伴い生活物質満足度の増大による保守化・政治への無関心化、近代合理主義の先にある非合理(来世、奇跡、お守り、占い)の受容の意識が増大していることが指摘されています。
2章では世界的傾向として、そのような高度成長後の「高原期の幸福」はどんな時かがアンケート回答に示されます。家族・友人・健康・仕事、これらがなにより自分の幸福という答えがほとんどです。
で、上の1章2章で引用された若者たちの意識の変化は、「人口減少社会をどう生きるか」の回答そのものです。経済成長が今後はありえないという総合的な雰囲気を察して、それならば、身の回りの小さな人間関係を充実させる幸福を選択したいという願望が強く表れていて、制度の破壊・構築にエネルギーが向かいません。ある意味で「保守化・政治的無関心」でもあるでしょうが、私には、人口減少社会でもこのように生きればいいのだ、と精神の深い部分で納得しているように受け取りました。どこかから「小市民的」「敗北主義的」という声が聞こえそうですが、以前の世代が以前の主張を繰り返して来て、このような(高度成長終焉の)事態を招いたことをこのように総括しているようにも思えました。
もしも、若い人たちの意識の変化がこのようであるならば、「人口減少社会」を生き抜いていく精神の下火は出来つつあるのではないか、と受け取りたい気持ちの方が強いのです。
ここまでで、「人口減社会をどう生きるか」に、私なりの狭い考えを書いたのですが、経済や政治、地方自治体の人口減への対策は皆無または「見ないことにする」という、これまでの路線から超えようという域には全然達していません。しかしながら、精神の深いところで若い人たちが準備しているとか、過疎地の農林漁業が元気に生き残る例が見られるあたりに希望を感じます。
補足的に、あと1冊読んでみようかという本を注文したばかりです。
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若杉 冽(れつ)「原発ホワイトアウト」講談社 1600円+税 2013年9月刊 9刷
若杉 冽「東京ブラックアウト」講談社 1600円+税 2014年12月刊 2刷(15年1月現在)
ノンフィクション小説というジャンルがあるかどうか知らないけれども、現役官僚が匿名で書き上げた、告発ノベル「原発はまた、必ず爆発する」と帯に書いてあります。非常に話題になっている本です。一つ前のブログにも小出裕章氏の本を紹介しましたので、ここでの感想は省略させていただきます。
この2冊は連続している内容なので、2冊とも読まれることが望ましいと思います。現代近未来の予測も込めて書かれていて、あまりにもリアリティがありすぎますが、内容については触れないでおきます。書名を検索すると、著者への匿名インタービューの記事も読むことができます。登場人物のモデル説明も見ることができます。
1)小出裕章「放射能汚染の現実を超えて」河出書房新社 ¥1300+税 1992年刊・2011年5月復刊
2)小出裕章「100年後の人々へ」集英社新書 ¥700+税 2014年2月刊
今、もっとも読まれて欲しい本がこの2冊です。2014年12月の選挙では原子力発電の行方が問われたとは思えませんでした。というよりも福島以外の原発立地の自治体では早期再稼働や建て替えなどが言われる状態です。立地自治体に対しては、電源開発(原発)関連の対策交付金・補助金が投入されていて、それは各地予算の数割を占めるまでになっていて、それなくしては予算を組むことができないほどになったのです。文字通り麻薬だったのでしょう。
この背景には、国の政策が脱原発の方向を緩めて現状維持を、さらには原発の輸出まで押し進めていること、さらにその奥には「経済成長」を錦の御旗にしてばく進しているという動きがあります。それが地方にも反映されて、とにかく経済を、身近な生活をよくしてくれと、立地地方の住民さえもが飲み込まれているようです。高濃度低濃度の原発廃棄物の処理方法も確立されていないばかりか、汚染水・廃棄物は増加の一途です。これをどうしようというのかをまず考え、答えてもらわないと、私は前に進むことができません。
なによりも「経済成長」という、もはや世界中では不可能(だと私は思っています)な
幻想を振りまいて、国民をごまかしているように見えるんです。ですから、原発を推進しようとする人々、原発交付金を受けている地方の人々にこそ読んでほしいんです。
初めに、刊行された年月を見ると、1)は2011年(平成23年)3月11日(金)の東日本大震災に続くフクシマ第一原発事故の20年ほど前の1992年に刊行されたものであり、2)は原発事故後およそ3年後の刊行です。従って、本のタイトルとは関係なく、1)はフクシマ原発事故以前の汚染の状態、2)は事故後の状態の説明ということになります。加えて、小出氏の深い思想のような個人的文章もやさしく書かれています。
1)「放射能汚染の現実を超えて」
1986年4月26日にチェルノブイリ原発が大事故を起こして、世界中に放射能を拡散させたニュースが届いたのは5月に入ってからです。日本からは8000キロも離れた土地なのですが、連休中に雨が降って、その雨から放射能が検出され、その雨を地中で吸い上げた植物・野菜、そして水道水も放射能汚染されました。母乳からも検出されて育児中の女性がパニックになりました(粉ミルクも汚染した水道水で溶くのでよけいひどい)。
世界中の核兵器は、広島の原発140万発分あると書いておられます。また、国内には54機の原子炉が出来てしまっており、再稼働が選挙の争点にさえならなかった。さらには1940年代から繰り返された大気圏核実験が400回もされて、ここからも世界は放射能汚染された。フクシマ以前の汚染状態では、コメの例ですとチェルノブイリの放射能汚染よりも大気圏核実験からの放射能汚染の方が94%を占めていたということもありました。
日本はまだ汚染状態は世界では薄い方で、ロシアやウクライナ、欧州の汚染状態はひどいものですが、著者は汚染度の高い食糧の輸入を止めるというのは、かならずしも最善ではないと言います。汚染された食糧は、回り回って第三世界に向かうからだというのです。これは、あたかも都市の便利さが原発立地の地方を犠牲にしているように、弱者を踏みにじっている差別構造が全体にあると指摘します。原発はだいたい先進国にあるが、放射能は世界全体に及んでいます。原発や石油エネルギーを浪費している先進国でもある日本こそが、汚染されていてもそれらの食糧を消費すべきだという過激な主張を著者は書いています。どうしたらいいのかと考えても、手段は無いと。とにかく核兵器・原発を止めるべきだと言い続けています。
2)「100年後の人々へ」
このタイトルからは、未来の人々への手紙のように聞こえますが、著者は100年後なんてわからないと放棄しています。100年前は第一次世界大戦でした。その頃の人たちが現在を予測することは不可能です。セシウム137は半減期が30年だとかで、90年後でも8分の1までしか減少しません。300年で1000分の一に、という放射性物質もあるし、フィンランドの地下保存施設オンカロ(小泉元首相が訪問した)では10万年の保管が予定されているというのですが、この年月には何が起こるのか想像することもできません。国内で地下保存しても、100年に1回は起こる大地震で地下変動に耐えられると思う人は、フクシマの現状を見るべきです。まだ炉心がどうなっているのかもわかっていない。著者は石棺で覆うべきだと言います。それも30年すると劣化するので、またさらに石棺で覆うしかないとのことです。再処理など論外ですね。
一年や数年先が未来ではありません。数百年、数千年が未来です。残念ながら、私たちは非力で原発も、そして核実験も止めることができなかった。ただただ未来の人々に謝罪するしかないのです。
こんなことを書くと、不安を掻き立てるかのように言われるかもしれません。それならどういう反論が可能なのでしょうか。とにかく目先の経済成長などを盾にしてはいけない。あくまで、自分の子供や孫、さらにその子孫にできるだけ安心できる自然環境を、そしてエネルギー資源を残すことが私たち現代世代の義務ではないでしょうか。
小出氏は、1)で書いたように、都市が地方を、先進国が後進国や第三世界を差別する思想が原発にもあるのではないかと問うています。もちろん、フクシマの厳しい汚染環境で作業をしている労働者にも深い感謝の意を表明しています。科学の進歩に期待しない方がいい。放射能を減らす技術など起こらないとも。
これだけではとても本の内容を説明しきれていません。まず、あなたがお読みになって、そして回りにお勧めくださることをお願いします。2014年も押し迫って来ましたが、最後に脱原発の本の紹介で、今年を締めくくることになりました。
この番組です。
シリーズの3回目、日本農業の現状と方向に疑問を持つ人が登場します。
神門善久氏です。
最近の神門氏の著書です。様々な問題を取り上げ、特に単作大規模農業や六次産業化に対して批判しておられます。新書なので、ぜひお読みください。
単作大規模化農業でなくて、技能集約型農業を勧めておられます。その事例として、次の農家を紹介されました。
ここに存在する農家とは
ということなんですが・・・、果たして技能集約型農業と評価されるほどの中身はあるのかどうか・・・。(当人ですから、過大な評価ではないだろうかとは思いますが)
年齢は正しくは六九歳ですが
まずは小羽数平飼い養鶏の紹介からです
鶏舎の中でも鶏糞を触っても不快臭がまったくありません。
家庭の庭用の格安スプリンクラーを農業用に使う
潅水しながら、他の作業を同時進行できる
農機具に多大な経費を使わない方法をいつでも模索しています。
もう一人、長女のお連れ合いもいます。
お手伝いさん、もう一人いますが、この日はお休みでした。
長女は新規就農者ということになります。
「単作大規模」でなく「多品種を小規模」とは
様々な野菜、キュウリ
トマト、季節によってこのような野菜を栽培
カボチャ
ミディアムトマトを三種類栽培
詰め合わせた箱です
仕分けの作業です
野菜畑の面積は一町歩余りのみ。小規模です。売り上げもそんなに多くないですが、これくらいなら農業を持続できます。
複合農業とは、穀物、野菜、畜産、果樹を組み合わせた農業。いわゆる「稲作農家」「果樹農家」「畜産農家」というのが(大規模)単作農業です。とりのさと農園の場合、養鶏・野菜・果樹の組み合わせという「有畜複合農業」です。
神門氏は大規模化ではなくて、技能集約型農業を勧めておられ、その例として当農場を挙げられた訳です。
一軒の農家がさまざまな農産物を用意します
すると、消費者はそれらの複数の農産物を購入されます。
けっして経営規模が大きいわけではありません。神門氏の主張に沿った農業実践の一例として紹介されました。なお、野菜類は、「詰め合わせセット」のための栽培として非常に多くの種類を栽培していることがあります。
この番組は一時間に及ぶ長いもので、上の農場の紹介は一〇分程度ですが、議論の中でも時々取り上げられています。長いDVDなので、とても私の力量では紹介しきれません。動画全部のアップロードまで私が技術的に踏み込めないんです。ごめんなさい。 youtubeもニコニコ動画も長さの制約などがあります。ファイルの変換などもあり、ちょっと手に負えません。
番組の中では、議論されませんでしたが、稲作や野菜・畜産の単作大規模化を推し進め・参入を促している人たちは大きな盲点に気が付きません。コメも野菜も肉・卵は現在でも供給過剰で値段が下がりつつあります。この上に大規模化を進めると生産量がさらに増加して、市場にだぶついて価格が低下していきます。ここでも大規模化は危うい面があります。
様々な意見があるのですが、ここでは一つの方向性として、取り上げられたということです。
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1)は、書名の内容を論じているのは後半の30ページ分で、その前の大半は政権交代すなわち、民主党の鳩山政権が成立したあたりからの政治批評ということになります。今の時点から見ても、自民が過半数を超える両院議席を得て、集団的自衛権実現に向かっているのを止める政治勢力がいないことになってしまったわけだけれど、これで終わりではないです。また政権の交代だってありえるわけです。
民主党が敗退したのは、前の戦争での敗戦以来、政治と経済の重要問題は、実は背後にいるアメリカが主導しており、今もそのままだという認識が甘かったのだと説明される。
人口問題一つにしても少子高齢化と人口減少がずっと続いて、3,40年後には9千万人くらいにまで下がります。この流れを止めようとかすると別の問題が生じるので、無理をしない方がいいのです。経済成長はもうあり得ないという前提で国家像ビジョンを提示している政党や政治家がいない。(はっきり言っているのは、この2冊の本などでしょう)
右肩上がりだけしか経験していない国と政治家は、縮んでいくダウンサイジングの時代を語る言葉さえ持っていない。
それはともかく、内田氏らは政治もコロッキャル(口語体)な言葉で説明されるべきだという考えを持って実践されておられるので、氏の著書はとても読みやすいです。
2)は世界経済の資本主義変遷の歴史と、現在のグローバリズム経済を比較した上での資本主義の未来予測の本であって、資本が周辺から中央へ蒐集・収奪する、その「周辺」が次第に無くなって行った時が資本主義の終焉だと言い切り、その後はどんな経済体制になるのかはわからないとしています。しかし、定常社会というのは、日本では長い江戸時代の経験があるので、そのような変化のない世の中に変わるのかもしれません。「経済成長」の言葉で今後の政策を立てるのは傷を深くし、手当が遅れてしまうと、アベノミクスを批判しています。もはや成長の余地はなく、中国やインドなどがあと20年くらいは持続できても、その後を誰も予測できません。マーケットが存在しないからです。日本でも10年物国債の金利が2%のままで、この金利では投下した資本は増加しません。金融緩和しても企業は設備投資に向かわず、余剰資本が投機の機会をうかがっている外国資本は、より金利の高い国へ向かいます。
TPPなどは、アメリカの収奪する「周辺」を広げようとする狙いだけであって、先進国が後進国をマーケットにしてしまい、「強い者はより強く、弱い者(後進国)は更に落とされます。市場を広げることのできない企業が最後の手段として、人件費の削減に手を加えてから非正規雇用が増大し、このために年収200万円程度の若者があふれているばかりか、残業を支払わない制度まで作ろうとしている流れです。「一億総中流」からアッという間に「格差社会」になってしまいました。国までが介護に外国人雇用を想定し始めました。
資本主義というのは、無限の資源と自由にできる労働者によって生産、それを購入する消費者層の存在が必須でした。これは過去の法則で、資源もエネルギーも無限ではなくなりつつあるので、終焉はやがてやってくると、著者の警告です。これまで経験したことのない新しい経済体制へソフトランディングする政策が望まれます。個々人は自衛と助け合いの、つつましいシンプルな暮らしを今から用意しておくことだと思います。ちょっと理解できない経済用語もありますが、とにかくここでは説明しきれないほどの説明がこの本にあります。
この2冊を読んで、私は今のうちから、生活をシュリンクし始めるのがいいかもしれないと思いました。うまい話をスローガンにする政治家企業家を信じない。実はこういう時代がやってくるので、助け合ってシンプルに暮らしていこうと決意を強くしました。有機農業の実践という形ですでに始めてはいますけれどね。
「千と千尋の神隠し」感想文
2014年5月9日の各新聞のトップ記事は、民間の有識者団体「日本創成会議・人口減少問題検討分科会」(座長:増田寛也元総務相・元岩手県知事)が2040年に予想される人口減少の推計の発表であった。(毎日新聞、朝日新聞、中日(東京)新聞など)
大都市への人口流出が毎年6~8万人続き、子供を産める20歳~39歳の女性が2040年に50%以上減少する896自治体を「消滅可能性市町村」と位置づけた。また2040年に人口が1万人以下(29%)になる523自治体については「消滅の可能性が高い」、衰退のおそれが大きいとした。
新聞によっては896自治体の一覧と、20~39歳女性の減少率を掲載している。特に減少率が80%を越す31自治体がトップ記事に並んでいる。(福島県だけは例外的扱いで統計を取っていない)
各紙の社会面でも大きく取り上げられて、私の町南知多町は県内で4番目に減少率が高い。役場のコメントもあったが、「自治体の対策で出来ることは限られている」程度であった。
少子高齢化と人口減が地方で進んでいるのは理解されていたが、この推計では、出生率の他に初めて「出産可能年齢の女性の数」がキーワードとして挙げられた。
同じ5月9日に発売された「中央公論」6月号に上記団体の「消滅する市町村523全リスト」と解説がある。その号に先立って「中央公論」2013年12月号にも「壊死する地方都市」と題して地方都市と町村の消滅可能性を警告していた。
人口が流出に向かう大都市とは東京大阪名古屋のことだが、大都市ほど出生率が低い。育児環境に恵まれていない、非正規雇用が大半などの理由だろうが、ここでも高齢化が進んでしまう。
9日には新聞では大々的に報じられたが、続報は無い。およそ4半世紀後のこと。特に東北北海道に予想される市町村が多いが、山陰四国なども。私の故郷の徳島県美波町は人口が半減してしまう予想だ。無駄に時間が経過するのを待つわけにはいかないが、国の地方過疎化対策はほとんど無いように思う。
「中央公論」6月号の方では、様々な対策の提言が挙げられている。その中でも「希望出生率」(国民の希望が叶った場合の出生率)を2.1を目標とすること(現在の平均理想子供数が2.4人だが現実は1.7人)、20代前半後半でも結婚・出産が容易になるような政策(当然、非正規雇用などは論外)、人口30万人程度の「地方拠点都市」圏の創出などだ。
国も地方自治体も財政難ではあるが、中期的な目標実現のために惜しまない努力が必要だろう。なにしろ、そうしなければ、その自治体が消滅するおそれもあるのだから。